毎日の活躍から目が離せない大谷翔平選手。
そんな大谷選手は母子家庭で育った?という噂がありますが、両親は離婚しておらずこの噂はデマです。
大谷選手の父親はプロを目指していた元野球選手で、今は会社員を辞め監督業に専念しています。
この記事では、そんな大谷翔平選手の父親・大谷徹さんについてまとめます。
関連記事
「大谷翔平は母子家庭」はデマ!

大谷翔平選手について、ネット上では「母親家庭なのでは?」という噂が存在しています。
しかし、次のことからこの噂はデマであることが分かります。
- 2015年に両親2人で日刊ゲンダイに全41回にわたる連載の取材を受けている
- 2018年にも両親は2人揃って開幕戦を観戦している
- 大谷選手のシーズン中は両親2人で岩手県で暮らしている
大谷翔平選手の試合を2人で見に来ている姿が確認されていますね。

また、そのほかにも「大谷選手は母親が亡くなった」との噂もありますが、こちらももちろんデマです。
それでは、なぜ「大谷選手は母子家庭」というデマが出回ってしまっているのでしょうか?
噂の理由は佐々木朗希との勘違い?

大谷選手が母子家庭だと勘違いされる理由は、他の選手との勘違いによるものでしょう。
- 佐々木朗希投手が母子家庭育ち
- ダルビッシュ有投手が過去に母子家庭を支援していた
“令和の怪物”と呼ばれる佐々木朗希投手ですが、9歳の頃に東日本大震災で父親を亡くし母子家庭となっています。
高田小3年のとき、小学校で被災した。津波から逃れようと、みんなで高台へと逃げた。
避難所で兄弟3人で一夜を明かし、翌朝には母・陽子さんと再会できたが、自宅は流された。
最愛の父と祖父母は津波にのみ込まれた。
スポニチより
大谷翔平選手も岩手県育ちで、高校1年のときに岩手県花巻市の花巻東高校で震災に遭遇しています。
震災後に無事家族と連絡がとれたようですが、

練習中に、ものすごく大きな揺れがありました。
どれぐらいの規模の地震なのか分からず、あんなことになるとは全く想像できませんでした。
と当時を振り返っています。
大谷翔平投手と佐々木朗希投手はどっちが速い?など比較されることも多く、勘違いが生まれているんでしょうね。
また、同じく日ハムからメジャーに羽ばたいたダルビッシュ投手は、2020年に母子家庭を支援する団体に寄付をしています。
ダルビッシュ有投手は24日、動画投稿サイト「ユーチューブ」の自身のチャンネルで昨年11月に得た収益470万9892円を国立がん研究センターと、母子家庭を支援するNPO法人リトルワンズに半額ずつ寄付したと公表した。
日経新聞より
ちなみにダルビッシュ投手も母子家庭で育ったわけではなく、

本当に困っているところに寄付したい
という想いから寄付をしたようです。
このような選手と勘違いされた結果、大谷選手は母子家庭なのでは?と噂されるようになったんですね。
大谷翔平の父親・大谷徹さんがすごい!

大谷翔平選手の父親はたびたびメディアに登場しています。
大谷翔平選手のお父さんのお名前は、大谷徹さんといいます。
名前:大谷徹
生年月日:1962年
身長:182cm
出身:岩手県北上市
職業:・自動車ボディーメーカー勤務(2016年に退社)
・少年野球チーム監督
父親・大谷徹さんも野球に打ち込んだ人物で、現在は少年野球チームの監督を務めています。
2016年には監督業に専念するため、務めていた自動車ボディーメーカーを退職。
大谷翔平選手の野球のルーツはそんな父親・徹さんにあったんです。
父親の野球の経歴がすごい!
大谷翔平選手の父親・徹さんは、中学2年生から野球部に所属していました。
プロ野球選手を目指すほど、かなり優秀な選手だったようなんです。
- 中学時代はエース兼4番打者として、県内の野球強豪校監督の目に留まる存在だった
- 高校時代は強豪校・黒沢尻工業で1・3・5番打者として活躍し、甲子園出場の一歩手前に
- 卒業後は三菱重工横浜で野球部に所属し、主力に近い位置でプレー
しかし入社6年目の24歳のとき、監督から戦力外通告を受け現役を引退します。
そのときの気持ちについて、徹さんは次のように振り返っています。

まさか自分が…という気持ちは正直ありました。
やらせてくださいと言えばよかったのかもしれませんけど…
言えなかったですね
当時は大谷翔平選手の母親・加代子さんとの結婚の話も進んでおり、仕事に専念することを決心したそうです。
そんな父親・徹さんが再び野球と関わるようになったのは、地元の自動車ボディーメーカーに転職し、大谷翔平選手が小学2年生になった頃。
徹は大谷が小学校2年の秋、水沢リトルに入ると同時に、「自分も勉強させてください」とチームのコーチを買って出た。
日刊ゲンダイより
自動車ボディーメーカーの仕事と少年野球コーチを両立しながらも、大谷翔平選手を支えていたんです。

なにかあったときには「こうした方がいい」と話をしました。
でも車の中だと寝るし、話が伝わらないので、帰ってきて風呂の中で。
中学2年生くらいまではそんなふうに話をしていました
のちに父親・徹さんは水沢リトルの監督も務め、2014年には有志とともに「金ケ崎リトルシニア」を立ち上げ、現在も監督をしています。
そんな徹さんの徹底的なサポートがあったからこそ、今の大谷翔平選手があるんですね。
父親も身長が高い!
大谷翔平選手の父親・徹さんの身長は、182cmです。
身長193cmの大谷翔平選手と並んでも、このとおり!

ちなみに、大谷徹さんのお父さん(大谷翔平選手のおじいちゃん)も身長は180cmあったそうで、

父が授業参観で学校に来ると、同級生の父兄の中で頭ひとつ出ていました
と話しています。
また、大谷翔平選手の母親・加代子さんも身長170cmと高身長。
大谷翔平選手には必然的に背が高くなるDNAが流れている…ということですね。
父親は職業の「二刀流」を諦めて監督業に専念
大谷翔平選手が二刀流で大注目されるようになった後も、父親・徹さんは会社員としての仕事を続けます。
そして、2016年に退職をするのですが、その理由は
立ち上げた「金ヶ崎リトルシニア」の監督業の活動に専念するため
でした。
勤務先には、

会社員との二刀流はできない!
と言って退職したそうです。
大谷翔平選手の稼ぎに乗っかったわけではなく、あくまでも自分の夢の実現のためです。
大谷翔平選手の母親・加代子さんも同様に、地元でのパートを続けていましたが、
その理由は、「自分たちの暮らしは自分たちで」という思いによるもの。
父親・徹さんは「仕事を辞めようと思ったことはあるか」という質問に対して、次のように答えていました。

翔平が高校からアメリカに行くなら、会社を辞めてついて行こうと。考えたのはそのときくらいですかね。
子供に、「ごめん、食わしてくれ」とは言いづらいですよね、親として
子供は子供、親は親として考えているという大谷翔平さんの両親。
このような謙虚な姿勢が、あの大谷翔平選手を育てたんだと実感できますよね。
まとめ
以上、大谷翔平選手の父親・徹さんについてまとめました。
- 大谷翔平が母子家庭はデマで、佐々木朗希との勘違いが理由?
- 父親も身長が182cmと高く、プロを目指していた野球選手だった
- 今は少年野球チームの監督を務めており、その夢の実現のために会社員を退職した
息子である大谷翔平選手が世界で活躍している姿を、ひっそりと見守っている素敵なお父さんですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
その他話題の記事はこちら