WBC日本代表として大活躍したヌートバー選手。
日本大好き!と発言してくれ、あっという間に人気者となってしまいましたね!
そんなヌートバー選手は、母親が日本人で、他の家族も日本との不思議な縁があるんです。
この記事では、ヌートバー選手の家族構成や生い立ちなどをまとめます。
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ヌートバー選手は5人家族
ヌートバー選手は5人家族で、3人兄弟の末っ子なんです。
- 父親:チャーリーさん(オランダ系アメリカ人)
- 母親:久美子さん(日本人)
- 長男:ナイジェルさん(埼玉生まれ)
- 長女:ニコールさん(埼玉生まれ)
- 次男:ヌートバー選手(アメリカ生まれ)
アメリカ人の父親と日本人の母親とのハーフとして生まれましたが、国籍はアメリカです。
WBCの規定では、両親のどちらかがその国の国籍を持っていれば代表として出場できるとのこと。
お母さんが日本人であるヌートバー選手は日本代表として出場できたんですね。
優勝決定直後には、ヌートバー選手と両親が一緒にインタビューに答えていましたね!
このときヌートバー選手は、
日本大好き。みんなありがとう。
と日本語で感謝の気持ちを述べていました。
日本のことを好きになってくれて嬉しいですね!
実はヌートバー選手の家族は、日本人である母親以外も、みなさん日本と何かしらの縁があるんです。
父親:チャーリーさん(日本留学経験あり)
ヌートバー選手のお父さん、チャーリーさん。
大学時代まで野球をやっており、今はアマチュア野球選手のインストラクターを務めています。
そのため、ヌートバー選手についてもかなり細かく分析されています。
ずっと変わらないストロングポイントは、ボールにバットを合わせる能力。だから三振が少ない。今はその要素にパワーを加えている段階。
ヌートバー選手にとっても頼もしいお父さんですよね。
そんなチャーリーさんは日本と縁が深く、
- 大学時代に日本に語学留学した経験がある
- 大学卒業後は東洋水産へ就職している
など、かなりの親日家であることも分かります。
妻の久美子さんとは大学時代に出会い、チャーリーさんの日本留学をきっかけに結婚にまで至ったそうです。
その後転勤や転職を繰り返し、最終的に妻・久美子さんとともに故郷のカリフォルニアへ戻りました。
母親:久美子さん(日本人)
ヌートバー選手を語るうえで欠かせないのが、お母さんの久美子さん。
日本の埼玉県東松山市出身で、旧姓は榎田久美子さんといいます。
久美子さんは高校時代にソフトボール部に所属しており、ヌートバー選手の“最初の指導者”なんだとか。
最初のバッティング、裏庭で教えたのは私なんですよ。日本野球のスタイル。
王さんの一本足打法、小さい時からかっこいいと思っていたもんなあ…
そんな久美子さんは、専門学校卒業後にカリフォルニアへ語学留学。
そこで「日本に興味があるアメリカ人がいる」と紹介されたのが、チャーリーさんだったんです。
結婚後にはアメリカで暮らすことになりますが、そんな中でも久美子さんは、
- 子供たちにおにぎりや日本らしい手作り弁当を持たせていた
- 「時間厳守」と「気持ちのいい挨拶」は徹底させた
など、子どもたちに日本の心を伝えてきました。
ヌートバー選手が侍ジャパンメンバーとしてすぐに溶け込んだのも、この久美子さんの教えがあったからなのかもしれませんね。
ちなみに久美子さんは、侍ジャパンの試合に必ず訪れており、取材にも協力的でもはや有名人です。
明るくて気さくなお母さんで好感が持てますよね!
兄弟:ナイジェルさん・ニコールさん(日本生まれ)
ヌートバー選手には、4歳上の兄・ナイジェルさんと3歳上の姉・ニコールさんがいます。
母の久美子さんは外国での出産に不安を感じ、ナイジェルさんとニコールさんを埼玉県で出産しています。
3人目のヌートバー選手だけアメリカ生まれなんだね
兄・ナイジェルさんは、幼少期から野球やサッカー、バスケットボールに打ち込んでいました。
さらに、ヌートバー選手と同様に野球選手として活躍していた頃もあったようです。
兄弟揃って野球少年だったんですね。
また、姉・ニコールさんも幼少期からバレーボールに打ち込み、現在はスポーツインストラクターをされているんだとか。
ヌートバー選手の家族は全員スポーツとの関わりが深いんですね。
そのため、もともと日本に親しみがあり、今回のWBC出場で日本が大好きになってくれたんですね!
ただ、ヌートバー選手を日本好きにしたのは、家族だけではないんです。
ヌートバー選手の生い立ちが運命的だった
そして、1997年にヌートバー家の三男として生まれたラーズ・ヌートバー選手。
改めてプロフィールを紹介すると、次のとおりです。
- 本名:ラーズ・テイラー=タツジ・ヌートバー
- 生年月日:1997年9月8日(25歳)
- 国籍:アメリカ
- 身長:190cm
- 体重:95kg
- 出身:カリフォルニア
- 所属チーム:セントルイス・カージナルス
幼少期からお兄さんとともに野球・サッカー、バスケットボールに打ち込んでいたヌートバー少年。
アメリカ国籍を持ちながらも、日本の野球に初めて触れたのは、ヌートバー選手が9歳の頃です。
高校野球の日本代表メンバーとして遠征に訪れていた斎藤佑樹投手や田中将大投手らと出会ったことがきっかけでした。
そこから日本の野球の影響を受け、10歳の頃に自己紹介で“日本代表”を宣言しました。
僕の名前はラーズ・ヌートバーです。背番号は21。日本人です。
僕は日本を代表してここにいます。
これにはお母さんの久美子さんも驚いた様子でしたが、まさか17年後に本当に日本代表となるとは…!
そしてヌートバー選手は野球を続け、高校2年生の頃に野球推薦で大学への入学が内定します。
野球の伝統校・南カリフォルニア大学です
しかし高校3〜4年生になるとアメフトの実力も注目され、チームを決勝に導きMVPを獲得。
すると、同じ大学からアメフトでの推薦の話もあがり、野球とアメフトでヌートバー選手の取り合いになってしまいました。
その理由について、ヌートバー選手は次のように語っていました。
最終的に野球を選んだのは、野球一家で育ったからだと思う。
自分の人生は野球に捧げられているのかな、って。
ヌートバー選手を野球の道に導いたのは、他でもない家族だったんですね。
ヌートバー選手のあだ名は“たっちゃん”!本人もびっくりだった
そんなヌートバー選手ですが、監督や他の選手から“たっちゃん”と呼ばれていました。
ヌートバーなのになぜたっちゃん?と疑問に思ってしまいますが、
ヌートバー選手の日本名「榎田 達治(えのきだ たつじ)」が由来
しているのだそうです。
この“たっちゃん”というあだ名を考えたのは、WBC日本代表の投手陣。
3日には合流予定とあって、投手陣も愛称をどうするか話し合った。
“緊急会議”の結果、ニックネームはミドルネームの「達治(タツジ)」や「たっちゃん」に決定。
日刊スポーツより
事前に「愛称計画」が進められており、初対面で“たっちゃん”と呼ばれたヌートバー選手は驚いたそうです。
中でも湯浅投手が、
ヌートバーって言ったら罰金!
という独自ルールをつくったおかげで、“たっちゃん”というあだ名はあっという間に普及しました。
ちなみに最初に罰金を払ったのは大谷翔平選手だという噂も!
そのおかげもあってかヌートバー選手はすぐにチームに馴染み、大活躍しました。
ちなみにヌートバー選手の日本名「榎田 達治」は、母・久美子さんの父親(ヌートバー選手のおじいちゃん)から取られています。
そのおじいちゃんも、たっちゃんの大活躍にこの満面の笑み!
海外にいた孫がまさか日本代表として活躍するだなんて、本当に夢のような話ですよね。
まとめ
以上、WBC日本代表ヌートバー選手の家族構成や生い立ちについてまとめました。
- 日本留学経験のあるアメリカ人の父親、日本人の母親との間に生まれたハーフ
- 9歳の頃に斎藤佑樹投手や田中将大投手らに出会い、日本の野球に触れる
- アメリカ国籍ながらも、10歳の頃には“日本代表”を宣言していた
- 日本名が「榎田 達治」であることから、たっちゃんと呼ばれる
また2026年のWBCに侍ジャパンとして帰ってきてくれることに期待ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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