1970年代から80年代にかけて「花の中三トリオ」の一人として、大人気だった桜田淳子さん。
山口百恵さん、森昌子さんとは違い、デビュー当時から「完成されたアイドル」と呼ばれていました。
しかし、アイドル歌手・女優として人気の絶頂期だった1992年8月頃に芸能界から姿を消してしまいます。
それから30年以上経った現在、何と「芸能界復帰」を目指しているという情報がありました。
桜田淳子さんは現在どんな活動をしているのでしょうか?
今回は【画像118枚】【2023現在】桜田淳子は芸能界復帰を目指し準備中!離婚して統一教会も脱会している?を紹介します!
◆この記事で分かること
- 桜田淳子の現在の活動11選
- 桜田淳子が統一教会に入信したキッカケ
- 桜田淳子が芸能界から消えた本当の理由
- 桜田淳子の活動再開に対する批判11選
- 桜田淳子は離婚・脱会したのか
- 桜田淳子は統一教会の資金源なのか
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桜田淳子は現在「芸能界復帰」を目指し準備中!

1970年代はアイドル歌手、1980年以降はドラマ・映画・舞台等で女優として活躍してきた桜田淳子さんですが、
最近は「若いファン」が増えてきていることもあり、現在「芸能界復帰」を目指し準備中のようです。
具体的にどんな活動をしているのでしょうか?
桜田淳子が芸能活動を再開!①「桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜」(2003年)

2003年9月21日に「桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜」という
大ボリュームのCD-BOXを「完全生産限定10,000セット」で発売しています。
これはCD5枚とDVD1枚のセットで、以下のものが収録されています。
- CD1~4:全シングル38枚のAB面76曲に、山本明とのデュエット「春の恋人たち」を加えた計77曲を収録
- CD5:シングルA面のオリジナルカラオケ15曲を収録
- DVD:シングル28曲の歌唱映像、秋田予選・デビュー2年目の映像等でトータルで約1時間の映像が収録

ブックレットには以下のものが収録されています。
- 全収録曲の歌詞
- 手書きメッセージが便箋2枚分
- 阿久悠、中島みゆきのコメント
- テレビ局・事務所関係者・歴代レコーディングディレクター等へのインタビュー

もしかしたらこれの売れ行きが良かったから、芸能活動を再開しようと考えたのかもね

もしくは、売れるかどうか実験的に発売したのかもよ
桜田淳子が芸能活動を再開!②エッセイ集「アイスルジュンバン」(2006年)

1992年8月に芸能界から姿を消した桜田淳子さんが、芸能活動を再開し始めたのは2006年のことです。
「アイスルジュンバン」が発売された2006年当時、
桜田淳子さんは「伝道」も兼ねて、全国でクリスマス会形式の講演会を行ったそうです。
こちらのエッセイ集には、自身の出産や育児、子供の学校での活動、ご近所さんとの交流など、
芸能界から姿を消した桜田淳子さんの「その後」が綴られています。
具体的にどんなことが書かれていたのかを、一部紹介します。
「アイスルジュンバン」内容①:ご近所づきあい

結婚後、最初に住んだ福井・敦賀市のマンションで知り合った8人の奥様とランチパーティーをやった。
その時の料理写真が掲載されている。

コミュ力高いわね
敦賀市内で食事に行った時、ちょうどテレビで「桜田淳子、第一子誕生」の速報がやっていた。
それを受けて、お店側からお祝いとして「豪華な料理」がサービスで提供された。

有名人だとそういうこともあるのね。
「アイスルジュンバン」内容②:出会いと絆

敦賀時代にサンミュージック・福田時雄専務(後の名誉顧問)と専属だったの長井マネージャー、
他にもビクターの関係者やドラマで共演した女優の中井貴恵さんが訪ねてきた時「出会いと絆」を感じた。

何年経っても、立場が変わっても繋がっていられるのは凄いことだと思うわ
「アイスルジュンバン」内容③:子育て

桜田淳子さんの息子さんが学校でこう言われたことがあったそう。
「お前のお母さん桜田淳子だろ?淳子の真似してみろよ!」
これを聞いた桜田淳子さんは「その子はあなたとお友達になりたいと思ってるのよ」とアドバイス。
その後、息子さんから「お友達になった!」と報告があり、嬉しい気持ちになった。

これは芸能人2世あるあるなんでしょうね。
「アイスルジュンバン」内容④:アイドル時代・女優時代のエピソード

桜田淳子さんはアイドル時代も女優時代も「強い信念」を持って臨んでいた。
事務所の意向を反映しただけの「作られたアイドル」とは絶対に言われたくないと思っており、
桜田淳子さんは「天使になりきる努力」をずっとしていた。

やっぱりあれだけ売れるには「血のにじむ努力」があったんだね
女優としてはどんな役でも引き受けた。それがどれだけ自分と性格や生き方が違う役でも断らなかった。
なぜなら、桜田淳子さんは自身の欠点は「人によって”好き”、”嫌い”が激しいところ」だとしていたため、
そんな自分を直したいという思いから、どんな役でも挑戦したという。

自分の欠点を克服するために努力したのね。

他にも「桜田淳子流“義母・義父との接し方”」も紹介されてるらしいわよ。
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