日本の音楽界に絶大な影響を与えた美空ひばりさんは、52歳という若さで亡くなっています。
美空ひばりさんの〇因は、「突発性間質性肺炎」とされていますが、本当なのでしょうか?
というのも、美空ひばりさんの〇因については様々な憶測が流れているのです。
今回は美空ひばりの〇因は本当に「特発性間質性肺炎」なのか?様々な憶測や噂を徹底調査しました!を紹介します!
◆この記事で分かること
- 美空ひばりの本当の〇因
- 美空ひばりの伝説
※「死因」「壊死」という言葉が多いので、一部「〇因」「壊〇」という言葉に置き換えています。
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美空ひばりの〇因は本当に「特発性間質性肺炎」だったのか?

美空ひばりさんは、1989年6月24日午前0時28分、52歳でこの世を去っています。
「昭和歌謡界の女王」のあまりにも早すぎる最期でした。
当時の報道で発表された〇因は「特発性間質性肺炎」の重症化で亡くなったとされています。
「特発性間質性肺炎」以外にも様々な噂や憶測がある

しかし実際には、「特発性間質性肺炎」以外の「病気」や「原因」等の「説」があるのです。
- 大腿骨頭壊〇
- 肝硬変
- 食道静脈瘤
- 脾腫
- 過度の飲酒・タバコ
- 特発性間質性肺炎
ひとつずつ見ていきましょう。
美空ひばり・病気や原因の噂①:大腿骨頭壊〇

1985年5月、美空ひばりさんは誕生日記念ゴルフコンペ中に両足内側に痛みを感じました。
それ以降平静を装い、ステージに立ち続けていましたが、2年後ついに原因不明の歩行困難になっています。
精密検査の結果、両足の「大腿骨頭壊〇」になっていたことが判明しました。
私はひばりさんの股関節のレントゲン写真を見たことがある。たまたま福岡で公演中のひばりさんが倒れ、入院先の院長先生が当時の九大整形外科の教授であった杉岡先生にご相談されたのであった。はっきりは覚えていないが、かなり進行した状態で自分の骨での手術(骨切り術)は困難な状況であった。人工関節置換術がふさわしいと思われたが、何しろ肝機能が悪く手術できる状態ではなかった。
佐賀大学医学部 整形外科学教室より

佐賀大学医学部の佛淵孝夫教授(平成15年10月15日現在)はこう語っています。
要約するとこんな感じです。
美空ひばりさんの病状はかなり進行していたので、「人工関節置換術」がふさわしいと思えたが、
「肝機能」が悪くて手術できる状態ではなかった。
「大腿骨頭壊〇は命に関わる病気ではない」とのこと

佐賀大学医学部の佛淵孝夫教授(平成15年10月15日現在)によると、
「大腿骨頭壊〇は命に関わる病気ではない」とのことです。
「大腿骨頭壊〇症」の原因

「大腿骨頭壊〇症」の原因については、「ステロイドホルモン」「飲酒」「原因不明」の3つに分かれるそうです。
大腿骨頭壊〇症の原因はステロイドホルモンが3分の1、飲酒が3分の1、原因不明が3分の1である。日本酒なら1日3合以上、ビールなら大瓶2本を飲み続けると、飲酒歴のない人の10倍以上、大腿骨頭壊〇症になり易いとされている。
佐賀大学医学部 整形外科学教室より
「飲酒」も要因の1つで、大酒を飲むと「飲まない人の10倍」罹患しやすいとされている、ようですね。
美空ひばりは「大腿骨頭壊〇症」で亡くなったのではない

美空ひばりさんは「大腿骨頭壊〇症」で亡くなったのではないということを強調していますね。
ひばりさんはご承知のとおり、酒豪であった。ひばりさんのおかげで大腿骨頭壊〇症は当時日本中にその名を知られるようになったが、なぜか飲酒との関係は強調されなかった。数年後、ひばりさんが帰らぬ人となった時、人々は大腿骨頭壊〇症が命に関わる病気と思うに至った。当時は「ひばりさんと同じ病気」の患者さんやご家族に安心するような説明をするのが大変であった。ひばりさんは酒がもとで肝臓を悪くしたのであって、大腿骨頭壊〇症で亡くなったのではない。結果的には「悲しい酒」であったことに変わりは無いが……。
佐賀大学医学部 整形外科学教室より
当時の報道の仕方に問題があったのかも知れないですね。
飲酒との関係が強調されなかったせいで、こう思った患者さんへの説明が大変だったと語っています。
飽くまで度を越した「飲酒」によって「肝臓を悪くした」のが問題なんだということですね。
愛飲家が全員「大腿骨頭壊〇症」になる訳ではない

とはいえ、愛飲家が全員「大腿骨頭壊壊〇」になる訳ではないということも解説されています。
愛飲家が皆大腿骨頭壊〇症になる訳ではないし、この病気になったからと言って酒を止めれば治るわけでもなく、また再発もしないようである。日本で年間千人前後が飲酒によってこの病気になるとされている。酒飲みは五万どころか五千万人くらいはいるだろう。危険性が10倍といっても、宝くじで言えば10枚買えば1枚買った人より億万長者になる確率が10倍増えるだけである。当たるもんじゃない。だからと言って、深酒が身体に良くないのは言うまでもない!
佐賀大学医学部 整形外科学教室より
「大腿骨頭壊〇症」の原因の一つに「飲酒」があるのは事実だけど、
宝くじに当たる確率が10倍増えた程度の確率なので、そうそう当たるもんじゃない、という話ですね。
直接「〇に至る病気」じゃないからこそ無理をしてしまった

「大腿骨頭壊〇症」は〇に至る病気ではありません。
ですが、「〇に至る病気じゃないから」、美空ひばりさんは無理をして仕事をしてしまったようです。
ですが、この後とうとう「入院」することになります。
美空ひばり・病気や原因の噂②:肝硬変・食道静脈瘤・脾腫

1987年4月、全国ツアー中だった美空ひばりさんは福岡総合病院に緊急入院します。
絶対安静として「100日間」入院するのですが、驚きなのが「40年ぶりの長期休暇」だったことです。
1946年に9歳でデビューして以来、40年間長期休暇なしで働きづめだったというのは凄まじいですね。
病名は「大腿骨頭壊〇」「肝硬変」「脾腫」でした。
診断した医師によると全身ボロボロの状態だったようです。
- 「大腿骨頭壊〇」の激痛で歩行困難
- 「肝硬変」「脾腫」で内臓もズタズタ
- 「白血球」「赤血球」も少ない
「肝硬変」「脾腫」とはどんな病気なのでしょうか?
「肝硬変」とはどんな病気か?

肝硬変は「肝臓が硬くなる病気」とのことのようですね。
肝硬変は慢性肝疾患において肝臓内に線維組織が増え、肝臓が硬くなる病気です。慢性肝疾患の原因にはC型肝炎やB型肝炎の肝炎ウイルス、脂肪肝、アルコール性肝障害などがあります。肝硬変には身体症状がない代償期と症状が現れる非代償期があります。非代償期になると、黄疸(白目が黄色くなる・皮膚が黄色く染まる・ウーロン茶のような色の尿が出る)や腹水・浮腫(お腹が張る、膝から下がむくむ)、食道静脈瘤の破裂(吐血)、肝性脳症(昼夜逆転・自分のいる場所が分からなくなる・尿や便の失禁)などの合併症が現れます。それぞれに対する治療ももちろん必要ですが、肝硬変にならない、非代償期に進行させないことが最も大切です。
日本赤十字医療センターより
要は「酒の飲みすぎ」だということですね。
食道静脈瘤を誘発する恐れがある

この肝硬変は非常に重度で、食道静脈瘤を誘発し、いつ吐血してもおかしくないという状態になってしまいます。
食道静脈瘤
食道粘膜の下にある静脈の壁が膨れて、血管が瘤のようになる病気です。肝硬変などで肝臓から出ている門脈という血管の圧力が亢進している患者さんに多くみられます。原因となっている肝臓の病気が進行すると血管が破れて出血が起こったりします。<症状>
静脈瘤(じょうみゃくりゅう)自体は無症状ですが、原因となる肝硬変の症状(手のひらが赤くなる、胸のあたりに血管が浮き出る、疲労感、倦怠感、黄疸(おうだん)など)がでます。静脈瘤が破裂した場合に吐血や下血などがおこります。<原因>
おなかの健康ドットコムより
門脈圧亢進症:
肝硬変などの肝臓の病気が原因で門脈の血液がうまく流れずに滞った状態になり門脈の血圧が高くなります。この血液は胃や食道へ逆流します。その結果、胃や腸の静脈の血液量が多くなってこぶの様にふくれる静脈瘤ができます。
肝硬変が原因で発症する病気のようですね。
肝硬変の進行が進むと、食道静脈瘤が破裂し、吐血や下血などがおこるとのことです。
「脾腫」とはどんな病気か?

脾腫は「脾臓が腫れて大きくなった状態」のことのようですね。
脾臓が腫れて大きくなった状態を脾腫といいます。概ね腹部超音波検査にて診断されますが、2倍以上に大きくなると左上腹部に触れてきて診断できることもあります。
原因は
①肝硬変・門脈の閉塞・心不全などによる脾臓のうっ血
②感染による炎症や膠原組織に反応した脾臓の細胞の増殖
③脾臓で血球が大量に破壊される溶血性貧血や特発性血小板減少性紫斑病
④慢性・急性白血病や悪性リンパ腫などの血液の病気
などがあります。
いずれも原則は原因疾患に対する治療となりますが、脾臓そのものに原因がある場合は脾臓摘出術を行うこともあります。
よしひさ内科クリニックより
原因のところに「肝硬変」がありますね。
ということは、「肝硬変」によって「脾腫」も発症してしまった、という感じなのでしょうか?
こんな状態で仕事を続けてきたとは「プロ根性」を通り越して、「プロ狂気」状態になっていますよね。
美空ひばりは「酒豪」で15歳から飲んでいた!

「大腿骨頭壊〇症」の話の時にも出てきましたが、美空ひばりさんは酒豪で有名な方でした。
美空ひばりさんと幼少期から仲の良かった中村メイコさんの話によると、
美空ひばりさんがお酒を飲み始めたのは「15歳」と言っていました。
そんな酒豪だった美空ひばりさんですが、あることがきっかけで、更に「お酒に溺れていく」ことになります。
近親者・親友の訃報で「酒量」と「タバコの本数」が急激に増えた!

働きづくめで、常に「満身創痍」だった美空ひばりさんですが、
1981年から相次いで近親者である実母・弟2人と親友がこの世を去ります。
- 1981年 実母・喜美枝
- 1981年 父親がわり・田岡一雄(山口組三代目組長)
- 1982年 親友・江利チエミ
- 1983年 実弟・加藤哲也
- 1984年 名コンビ・大川橋蔵
- 1986年 実弟・香山武彦
ほぼ毎年、自分に近しい誰かが、次々にこの世を去る。これは想像を絶する喪失感だと思います。
悲しんでいる最中にまた誰か逝ってしまう、というのを立て続けに6回も繰り返すわけですから…
一気に家族と親友を失うことは精神的に相当なダメージを負ったことでしょう。
寂しさを紛らわすために「お酒の量」や「タバコの本数」が急激に増えたと言います。
美空ひばり・病気や原因の噂③:特発性間質性肺炎

1989年美空ひばりさんは「特発性間質性肺炎」と診断されます。
美空ひばりさんは最終的にこの病気が重症化してこの世を去ることになります。
これまでの病歴や行動を見ると、「特発性間質性肺炎」は「なるべくしてなった」と言えるかもしれません。
時系列にまとめるとこんな感じです。
- 15歳から酒を飲んでいたほどの「酒豪」だったため、酒が原因で「大腿骨頭壊〇」を患う
- 相次ぐ「近親者」や「親友」の〇で、酒やタバコの量が急激に増える
- 酒の飲み過ぎで「肝硬変」「食道静脈瘤」「脾腫」を患う
- タバコの吸い過ぎだったのか「特発性間質性肺炎」と診断される

「特発性間質性肺炎」は「喫煙」と深い関係がありそうです。
特発性間質性肺炎のうちもっとも治療が難しい特発性肺線維症は、50才以上の男性に多く、間質性肺炎は一般に喫煙が関与している可能性を指摘されていますが、特発性肺線維症の患者さんのほとんどが喫煙者です。 喫煙が必ずしも肺線維症だけを来たすわけではないことから、喫煙は特発性肺線維症の「危険因子」であると考えられています。
難病情報センターより
このように、美空ひばりさんがこれまでに取ってきた行動の結果、
必然的に「特発性間質性肺炎」に結びついたと言えるのではないでしょうか?
「特発性間質性肺炎」の治療方法

では、「特発性間質性肺炎」の治療方法にはどのようなものがあるのでしょうか?
特発性間質性肺炎の場合、ステロイドや免疫抑制薬などが使用されます。軽症や進行に乏しい場合には経過観察することもあります。
また、若いながら呼吸機能の改善が期待できない場合には、一定の厳しい基準を満たすことを確認されたうえで、肺移植の適応も検討されます。
病気が進行し呼吸で酸素を十分取り組めない場合には、 在宅酸素療法 といって日常生活で酸素を吸入する治療法が行われ、必要であれば 呼吸リハビリテーション も行われます。さらに肺病変の影響で心臓の負担が増加している場合( 肺高血圧 )にはその治療もあわせて行います。
難病情報センターより
ステロイドや免疫抑制薬が使用されるとありますね。
美空ひばりさんもステロイドや免疫抑制薬を使用して治療していたのでしょうか?
ステロイド薬を使って治療していたかは不明

結論から言うと「不明」です。
特発性肺線維症は、慢性的に肺の線維化が進み、中高年以降に呼吸困難や乾いた咳で発症し、ゆっくり進行。およそ4~5年で呼吸不全が現れ、〇亡に至る頻度が高くなる。肺がんを合併することも多い。治療に特効薬はなく、プレドニゾロンなどのステロイド薬などを処方するが、ひばりは、肝硬変を併発していたので、どのような治療が行われたのか判然としない。また、治療を行っても、5年生存率は約36%、10年生存率は約20%といわれる難病のため、ひばりが苦闘していたのは疑う余地がない。
一般的には「ステロイド薬」を使用するようですが、美空ひばりさんの場合は「肝硬変」を併発していたため、
副作用を懸念して「使ったかどうかは定かでない」ということですね。
肝硬変にステロイドが効く?

ただ、2011年6月15日に「財団法人日本消化器病学会」が発行している
「患者さんと家族のための肝硬変ガイドブック」にこんなことが記載されていました。
知らないうちに肝硬変になっている患者さんもいます。肝硬変になってしまった患者さんにもステロイド薬が効くことが報告されています。とくにはっきりしていることは、肝硬変の特徴である線維化の程度がステロイドの服用により改善することです。
日本消化器病学会より
1989年当時、この話が一般的だったかどうかは分かりませんが…
美空ひばり伝説

これだけの病気を患いながらも、美空ひばりさんはこの世を去る直前までステージに立つことを止めませんでした。
その場しのぎの治療を行い、何とか歌っていたという状態でした。
1988年4月11日東京ドームのこけら落としコンサートを敢行!

東京ドームで初めてコンサートを行ったのは美空ひばりさんでした。
1988年4月11日「不〇鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」が開催されました!
病状が悪化する中、常人なら歌うことどころか、立つこともままならない状態にもかかわらず、
美空ひばりさんは39曲も熱唱し、激痛に耐えながら100mもの花道を歩ききりました!
ファンには笑顔で手を振り、気丈すぎる振る舞いを見せました。
しかしその直後救急搬送され、病状は更に悪化します。
1988年10月「不〇鳥パートII」収録

1988年10月、秋元康さんが企画したニューアルバム「不〇鳥パートII」を収録しています。
このアルバムが美空ひばりさん生涯のラストアルバムとなります。
このアルバムには、あの名曲「川の流れのように」が収録されていおり、美空ひばりさんの強い希望により、
「川の流れのように」はシングル化されています。
1989年2月7日九州厚生年金会館がラストステージとなる

1989年2月、美空ひばりさんは周囲の反対を押し切って、全国ツアー「歌は我が命」を開始します。
初日の2月6日公演は、肝硬変が悪化しチアノーゼ状態で歌い切りました。
そして2日目となる2月7日「九州厚生年金会館」の公演が、美空ひばりさん生涯最後のステージとなります。
ヘリコプターで会場入り

この日美空ひばりさんはヘリコプターで会場入りします。
なんでも新幹線や車での移動に耐えられない状態だったとか。
食道静脈瘤が破裂したら助からない

肝硬変による食道静脈瘤がいつ破裂するかも分からない状態だったといいます。
しかも破裂したら助からないと警告されていたそうです。
全20曲を歌いきる精神力

しかし美空ひばりさんは20曲を歌い切ったのです!信じられない精神力ですよね…
その後さすがにツアー継続を断念します。
横浜アリーナの「こけら落とし公演」に執念を見せる

ですがこの後、4月17日に予定されていた「横浜アリーナ」のこけら落とし公演をやりたい!
という執念を見せましたが、これは叶いませんでした。
どうやら、美空ひばりさんの地元・横浜で新たに開場する「横浜アリーナ」公演を何とかやりたかったようですね。
美空ひばり永眠

1989年6月24日午前0時28分、美空ひばりさんは52歳で永眠します。
美空ひばりさんの晩年は、正に命を削りながら、歌い続けていたといって良いでしょう。


ステージから一歩降りれば立つこともままならない状態の美空ひばりさんでしたが、
曲が始まると病気であることを忘れさせるほどの圧巻のステージを見せていました。
これほど末期にありながら、ここまで歌い上げることは、誰にも真似できることではないでしょう。
歌に命を捧げ、最後まで歌い上げて亡くなったといえます。
SNSの反応は?
そんな美空ひばりさんの人生についてネットではどんな声があるでしょうか?
ネットでは美空ひばりさんの〇を惜しむ声もありながら、歌手として人生を全うした姿に共感する意見が多いですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は美空ひばりの〇因は本当に「特発性間質性肺炎」なのか?様々な憶測や噂を徹底調査しました!を紹介しました!
まとめるとこんな感じです。
- 美空ひばりの本当の〇因は複数の病気を同時罹患からの「特発性間質性肺炎」が原因だった!
- 美空ひばりの伝説:ステージ前は寝たきりでも、ステージ上では完全復活をアピールしていた!
多くの人に惜しまれながら、早くにこの世を去った美空ひばりさん。
1つの病気ではなく、その病気によって誘発される様々な病気に侵されて亡くなりました。
そういう意味では美空ひばりさんの〇因は1つではないということができますね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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